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​茶ノ木神社の由来 History

  お茶ノ木様と町の人々に親しまれている茶ノ木神社の御祭神は、倉稲魂大社で伏見系の稲荷様である。

  元この土地は、徳川時代約3000坪に及ぶ下総佐倉の城主(十八万石)大老堀田家の中屋敷であって、この祭神は其の守護神として祀られたものである。社の周囲に巡られた土壌芝の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれ、芝の茶の木の緑が実に見事であったと伝えられている。

  そして、永年屋敷内は、周囲の町方にも絶えて火災が起こらなかった為、いつの頃からか誰言うとなく、火伏せの神と崇められ、堀田家では年一回初午祭の当日だけ開門して、一般の参拝を自由にされた由、お茶の木さまの愛称で町の評判も相当であったらしい。

  以上は、堀田家の老女で仕えた人の身内で、下総関宿の人、此の土地の差配であった謡友沢田恵吾氏より直接聴いた話である。

  明治以来誰の手で祀られて来たか、遠い昔は知る由もないが、大正十二年関東大震災後は、喜誠会の人々の力により、此の土地を定めて社を建立し、永い間お世話下さったのである。

  昭和八年以来、そのまま受け続いで蠣殻町二丁目北部町会・人形町一丁目西部町会(現 在:人形町一丁目)がお守(現在: 茶ノ木神社世話人会)りして来た。昭和三十五年の地下鉄公団(現 在:東京地下鉄株式会社(旧:営団地下鉄))、日比谷線が決定の時、当社がその計画路線にあった為解体新築の止むなきに至った。工事中御神体を都下保谷市(現 在: 西東京市)の東伏見稲荷神社にお移し申し上げた。旧社は、解体の上、八王子市の某町会に贈った。

  約三年余りで地下鉄も完成したのが其の間世話人一同、新社殿建立の苦労は、大きかった。

  新たに昭和六十年十一月十六日、布袋尊を御遷座合祀り申し上げて日本橋七福神詣りに加わる事となりました。 

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